2007年07月09日

第2回 〜入学願書〜


今回からはしばし、ボストンへの留学を決めてから、
ココに行き着くまでのストーリー。

ボストンへの留学と言っても、選んだ理由はアメリカという国だからでもなく、
ボストンという土地柄でもなく、ただそこに目的の大学が見つかったから。

前にも少し触れましたが、ボクの通うバークリー音楽院(Berklee College of Music)は、
世界で一番規模の大きい音楽を専門とした学校です。

第2回 〜入学願書〜
渡辺貞夫さんらを筆頭に、今や日本でも数多くの「バークリー卒」のミュージシャンがいます。

ボクがこの大学を選んだのは、ジャズの名門でもありつつ、
「ポップス」を大きく扱う学校でもあったから。

ボクもココでは主にジャズの勉強をしてますが、
“ジャズだけの勉強”はあまりしたくなかったんです。

ジャズを専門にする学校は他にもたくさんあるけど、
表向きに“ポップス”も大きく取り上げているのがこの学校の特徴だと思う。


さて、

そんな学校を見つけたはいいものの何から手をつけよう。。。

とりあえずネットで資料請求。
ネット上で願書も書けるんじゃなかったかな。。

辞書を片手に、送られてきた多くの資料や入学願書とにらめっっこしつつ、
“こりゃ大変だ。。。”と内心不安に。

とりあえず一つ一つやっていくしかない。

ただボクのときは“入学テスト”なるものは別になかったです。
入学の最低条件として、

「最低2年間の音楽教育を受けていること」ってのはあったな。。

あと必要だったのは、

「音楽の先生からの推薦書」
「TOEFLのスコア or 英語の先生の推薦書」
「高校の卒業証明書」
「VISA関係の書類」

等など。。まだ他にもあったかな。。

あとは、
英語での(当たり前か。。)「エッセイの提出」。
ボクは「この学校を選んだ理由」だったかな。。?


意外と手間取るのは、当たり前だけど全て‘英語’で書かれていないといけないということ。

音楽の先生に、数ページに及ぶ推薦書(結構多くの選択するとことか、
生徒について書くところがあった)を英語で書いてもらうのは難しいでしょ?w

なのでボクは一度日本語に直した推薦書を東京の先生まで送り、
日本語で書いてもらったのを今度は英語にしなきゃいけなかったです。

といってももちろん自分でテキトーにする訳にもいかないし。。
自分で書けてしまうのなら”推薦書”の意味がないもんね。。w

実はボクはそこで「鹿児島外語学院」の先生にお願いしましたw
そして、代行して翻訳をしましたという印を押してもらい、提出できることになりました。

エッセイのチェック、手直しも大分してもらったな。。w

揃ったもの全てを提出して、
あとは合格通知が来るかどうかを待つ、といった感じでした。
試験がないと言っても、もちろん全ての人が受かるわけではないので。。

実際、留学生の枠は少し違うのかもしれないけれど、
アメリカの生徒たちはすごい競争率だったみたいです。

ボクにも合格通知が届き、ホッと一段落。

そこまで終わったのが4月の中旬だったかな。。

ところで、

ボクの大学は3学期制で、春(1月〜)夏(5月〜)秋(9月〜)の入学が可能です。

それもありココでは、日本のように”何年生”といった1年間単位ではなく、
”何学期生”といった単位で数えています。

なので、ボクの場合は今3学期目に入っているので、3rd semester student(3学期生)です。

学期制についても、今度軽く触れておきます。

さて、

ボクの希望していた入学時期は9月。
合格通知も届きとりあえず、大きな手続きが1つ終わったぞ。。

。。。と思いよく合格通知を見てみると、


「おめでとうございます。これで5月からの入学が決まりました。」


ん?? 5月??!





Posted by shu at 07:00│Comments(2)
この記事へのコメント
えぇっ!4月中旬に準備整ったのに・・5月入学ですと!
なんてこと!shuさんの慌てぶりが次回のブログで明かされると(笑)
Posted by yuka at 2007年07月09日 23:13
突然入学といわれてもさすがに。。。。w

初めての経験だったので、苦労の連続でしたよ。。
Posted by shu at 2007年07月11日 00:43
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    コメント(2)